禅問答な思想


どうも皆さんイェア!


ルサンチメンの編集担当バボです。

こんなベタな紹介をまだ使ってなかったなぁとブログを読み返していて気づきました。


さてさて今年も残り一週間ほどですね。


ただその一週間で変われること、成長できることが幾らでもあるはずなので

年末感なんて微塵も出さずにむしろ元旦気分で日々全力投球していきますよ。




さて今年最後のブログになるかと思うので今年の振り返りでも

って思ったんですがみなさんに記事をしっかり読んでもらいたいので

どうぞ過去の記事を勝手に遡って我々の遍歴をお確かめください。


大事なところは変わってなくて色んな部分は変わっているはずです笑



と云うことで今回は何かを創る、産み出す、クリエイトする人間として

異国の地で感じたことについて書きたいと思います。


何やらまどろっこしい云い回しになっていますが"音楽"だけでない

部分も多分に含まれる気がしたのでこう云う表現にしました。





何かを創る上で大切なことはたくさんあります。


楽しむこと。満足すること。納得すること。妥協しないこと。


作品に対する考え方一つをとっても無数とも云える

とても大切な価値観があると思います。

そしてどの価値観に重きを置くか。そのバランス感覚はひとそれぞれ

でしょうしそこに良し悪しはなくただ好き嫌いがあるだけだと思います。



ただもう一つとても重要な要素があります。


それは創ったものを自分も含めて味わってもらうことです。

僕なりの表現をすると"創ったモノの位置を変えること"です。

少しわかりにくい表現ですので説明しますね。




どんなモノにしろクリエイティビティの元に創られたモノは

ゼロ地点があると思います。


無の状態から考えればそれは大きな差です。0と1ですからね。

ただそれは何の発展性も帯びておらずただそこに"存在している"だけなのです。

動かない点は何の影響力もなくそれが世界に干渉することはありません。




先ずは産み出した張本人、作者とでも云いましょうか。作者側での話をします。


例えばまた別の何かを産み出した時。その新しいモノが前のモノと

少しでも違った時、その点は重なり合わずに別の場所に打たれると思います。


そのことを作者自体が認識したとするとそこに線が産まれます。

此処で重要なことは線で結ばれた以上なんらかの関係性が

そこに産まれていると云うことです。


それはある種の共通項かもしれませんし

また別の何かへの発想になるかもしれません。


そして先ほど云っていた"創ったモノの位置を変えること"と云うのは

その点、線を違う角度から見てみることでもあります。


するとまた違ったモノが見えるかもしれませんし

何か新しい発見があるかもしれません。


さらに文字通り"創ったモノの位置を変える"、つまり

点に対する解釈を変えてみると先ほどの点、仮にAとした時に

それがA`とかaとかになったりしてまた別の座標に打たれるわけです。


するとまたそれが違った線を産み出したり更に図形的に、

最終的には立体的に絡み合い、より複雑な世界を構築していくのだと思います。


それは自分の表現に対する認識の深度とも云えるでしょうし

その世界の枠組みの中での可能域とも云えるでしょう。



だがしかし!

それはあくまで自分の中の世界でしかないのです。

そう幾ら自分の中の世界で小宇宙を形成したとしても

それは他者、もしくはもっと大きな枠組みの”世界”からみると

ただの一点でしかないのです。




つまり何が云いたいか。


別の意味での"創ったモノの位置を変えること"とは

他者の中に自分が産み出した点を打ち込むことなのです。


そうすることによって他者と自己との結びつき、そこで産まれた線がいずれ

面になり立体になり複雑に絡み合っていくのだと思います。


そしてそうなった時。

産み出したモノが例えたった一つの点だとしても

その点を共有した人間たちが創り出した大きな枠組みの中で

また別の何かが産まれるのだと思うのです。


そしてその"世界"の中での世界は自分の中の世界とは

比べ物にならないほど広大でより多くの意味を持っている気がします。




他人に自分の点を打ち込むことは容易ではありません。

そこには良し悪しだけでなく好き嫌いも関わってきます。

ただ我(々)は諦めたくないのです。

だって自分(たち)の点を絶対にどんな奴らにでも打ち込めるって信じているから。

そしてその打ち込んだ点たちが創り出すであろう”世界”が楽しいことを知っているから。



そう

創ったモノをいつまでも自分の中だけにとどめて満足していてはいけないのです。

その点をひたすらに我武者羅に動かし続けて打ち込んでいくのです。

そのことは新しい点を産み出すことと同じくらい、

時によってはそれ以上に重要なのです。




自己満足で終わってはいけません。

なぜなら我々はプロだから。

そして我々はフツウキライだから。




そしてその点をもっと強く。もっと面白く。もっと自分らしく。

そうすることによって他人の中、もちろん自分の中にもある

様々な他の点たちに負けなくなるのです。



埋もれてなんかなるものか。

存在感全開で

厚かましいくらいに我を出して

嫌われるくらいの強烈さをまとって

もっと点を創って打ち込んでいくのだ。





何やら大変わかりにくい文章になってしまったのでとても簡潔に云いましょう。


つまり

"創ったモノを色んな人に見せびらかすこと"

これがとても大事だってことですよ。


何やら急に小学三年生が云いそうな感じになりましたけどそれで良いのです。

まだケガレも何も知らないただ純粋に楽しんでいた

あの時の心を持って創造することに向き合う時が来たのです。



さぁサンタさんに本気でお願いしよう。

お年玉にめっちゃ期待して親戚たちに媚を売ろう。

年越しのカウントダウンまでの眠気と戦おう。


忘れてしまっていたあの時の感情を今思い出すのです。


コロコロコミックの応募者全員サービスを友達に自慢した感覚を。

姉ちゃんからパクった青年誌で妄想した大人の世界を。

深夜にやっていたセクシー番組を親に隠れて見ていた青さを。


いまの俺は此れまでの俺の屍の上に立っているんのではないのです。

いまの俺は此れまでの俺と此れからの俺を繋ぐ線の上にいる”点”なのです。



もうこれ以上の説明はさぶいのでしません。





お相手はルサンチメンの早く死ぬ方バボでした。


やって俺が"アイツ"の弔辞を読むよりも

"アイツ"が俺の弔辞を読むほうが絵になるやん?


<バボ>