死にたくないから死んでいこう。


どうもお久しぶりです。

ルサンチメンの実家にいる方バボです。


日本に帰ってきて一ヶ月くらいが経ったわけですがシンプルにめんどくさくてブログの更新をサボってました。

したら案の定前回の収録の時に相方に叱られちゃったので嫌々書いてます。

嘘です。まぁまぁ書きたいことが溜まってきてましたよ。




ニューヨークにいる間はバカみたいに曲だけを創る生活をしていて

ある種日常から完全に隔離されたような感じでした。

その所以もあってかなかなか気づいてなかったのですが

僕はもう手遅れでどうしようもないくらいにダメだと云うことをなんとなく察しました。


前の相方の記事は少し前に二人で話した内容の延長線上のものなのですが、

それはつまり僕自身もそう云ったことをビンビンに感じていると云うことなのです。



精神的な死。それを恐れるがあまり、そればかりを恐れるがあまり

肉体的な死に対してある種の達観と云うか非現実感を抱いてしまっているようなのです。



肉体の疲労よりも精神の疲労。

肉体の病みよりも精神の病み。

肉体の快楽よりも精神の快楽。

肉体の充実よりも精神の充実。



そう云ったことに重きを置くことがさも当然かのように思ってしまう

自分が日本に帰ってきてある種日常に浸ることによって自分自身でも

“おかしい!あかん!だめ!危ない!甘くて美味しい!”と思ってしまったのです。


こうしたことばかりを考えることはきっと何かを得る代わりに

別の何かを欠落させていると確信できるのです。



問題はその釣り合い。

失ったものよりも得れていれば良いのですが失うことに気付かず

ただただ無為に得ようとして気づけば何もかもを失っていると云うことにもなりかねないのです。


楽しいことだけする為に今は楽しいことをしない。

それが正しいときもある。

でもその逆が正しいときもある。

結局何が云いたいかって自分の中で当たり前になりすぎていた感覚を

もう一度疑って嫌いになって好きにならなきゃって思ったってことです。



もっと新しいこと

もっと怖いこと

もっと面白そうなこと

もっと興奮すること


そんなことをしていかなきゃいけないのです。



だから当たり前のように嫌いって思っていたことをしてみたり見てみたり聞いてみたり

それで本当に自分が嫌いなのかどうなのかを考え直す時なのだと思ったのです。


こんな風に文字にするとややこしくてわかりにくいことを

なんとかして分かりやすく脳みそに直接ブチ込める方法をみつけてやりたいです。


世界中の人に自分の価値観を押し付けたいわけじゃないんです。

ただ世界中の人に自分の価値観を判断してもらって

めちゃくちゃわかってくれる人をもっとみつけたいんです。


そんでそうした奴らに負けないように

自分の精神性と創造性を高めて高めて戦っていきたいんです。




創造の為の破壊。

破壊から産まれる創造。


さぁ怖がらずに自分を壊そう。

一回自分を殺してそこでやっぱり死に切らない自分を見つけよう。


前向きな精神的自殺。

毎日毎日己を殺して甦ろう。

死にたくないから死んでいこう。

矛盾を許容できない人は置いてくから。


もう俺たちはそういうレヴェルにはいないから。



手始めに

自分が嫌いそうなしたことないことする為に

三万円持ってパチンコ行ってこよ。



でもやっぱりそのお金で台湾行こ。



でもやっぱり行く人もおらんしもったいないから貯金しよ。



VIVA!!倹約!!


<バボ>