ヒューマニティ!


ういーっす。最近ネット上にもあまり姿を表していなかった、

ルサンチメンの日本人の方、えさです。


今日のBGMは●●●●の「魂の釘」で。

誰の曲か、というのはまぁいずれ分かることでしょう。





今回は前説などなくいきなり本題に行きましょう。

ここのところ試験々々でストレスがもの凄いのですが、まぁそんなことはフツウなことなのでどうでもよくて。

まぁ簡単に云うと、なんで今回の記事を書いたかというと、

それよりも私にストレスを与えることがあったからなんですね。




こないだウチの大学の講義で「死生観」についての講義がありまして。

まぁ講義というよりは企画レベルですかね、人それぞれのことなので授けてもらうことなど何もないと云いますか。そんな感じやったんです。


まぁ僕はうちの相方と違って自分の周囲に存在している人間の多くに期待などしていないので、

そいつらが今まで死について考えたことがないとか、

この機会に決めないといけないとか

テンプレのクソみたいな回答を云うことに感じることは哀れさしかありません。


私が怒った、何故だと思ったのはそれとは別のことで。

それは多くの人、挙句話を進める講師までが「死」というものを

「肉体の死」しか考えていなかったことでした。




少し僕の話をしますね。其のほうが分かり易いかもしれない。


私は幸運にも(?)珍しい苗字をもって産まれ、名前の一文字を我が家系で最も著名な人から取ったので、

中学生ぐらいの頃から将来、如何なる職業、生き方をしていようとも、この苗字と名を世界中の人間に広めてやろうと思ったんです。


誰に聞いても知ってる、聞いたことが有るぐらいの人間になってやろうと。

そうでなければ俺がこうして生まれてきた意味が無いし、

俺がこういう姓と名を持って生まれたということはそういうことをしなければならないのだと思ったんですね。


まぁここまで考えるようになったのはもうちょっと後の話やけれども。




それは、要は言い方を変えると存在の伝播が目的ということです。

自己を自己たらしめているのは肉体に基づいた精神であって、

その、私の抱いた精神性をすべての人間に知ってもらいたいという、

強い存在認証欲求から来た願望です。


そして、まぁこんな記事を読んでくれてる人はおそらく知ってると思いますが、

私はそれを表現できるような道に進みます。

幸運にも「これだ!」と思ったのがデザインだったので、

その精神性をある種表現できる、伝えられる形の道に進もうとしています。



つまり、何を云いたいのかというと、

私の今までの人生、そしてこれからの人生は決意の連続なんですね。

自らの意思のかたまり、人間性のかたまりであるのです。




なので私は寿命が尽きるのはいつでも別に構いません。

満足にこの人間性を伝えられた後なら、遺せたならいつでもいいんです

(まぁ多分満足いくことは無いので、構わないことは無いんやけど笑)。


私にとっての「死」は「精神の死」です。

何も遺せずにこのからだが終わってしまうことですし、

置いていったはずの「たましい」が消えてしまうことです。




この世に生きる人間ほぼ全員が、決意して生きていると思います。

マイナス方向であれプラス方向であれ。


でもその決意は無意識なことが多いのでしょう。

だから「あまり死について考えたことがない」なんてセリフが簡単に吐けるのでしょう。

僕に云わせれば「死について考えたことない」なんか「ずっと死んでる」と一緒ですよ。

自分のことなんか何も分からないって云ってるのと一緒です。


生きている時間が長いだけのヒトのこれまでの意味なんかありません。

瓦礫の山よりダイヤモンドのかけらの方が価値がある。




僕自身医学生なので、あえてこの部分にちょっと触れますが

医療の現場から見ても「死」が「肉体の死」だけじゃないことに、気づける機会はいくらでもあると思うのです。

QOLなどは最も身近にある「精神」に基づいた理念なのではないでしょうか。


「アイツは俺の心のなかで生きている」というなんとも安っぽいセリフで置き換えられるとなんだかやるせないのですが、要はそういうことでもある気がします。





僕は、死ぬのがめちゃくちゃ怖いです。

何も遺せない人生であれば、生きていた意味はないと私は断言できます。

残すために生きてるんやから。

でも、遺したところでからだが死んだらもう何も造れない。

本当の想いは伝わらないままかもしれない。



偉大な、数多の先人たちは生きています。

彼らは確かに遺していったのですから。

でもその人達のほとんどは死んでしまっているのです。

その、本当に考えていたことは、肉体と共に滅んでしまったのですから。




どうすれば良いのでしょうね。

本当に怖くてしょうがない。

本当に死にたくなくてしょうがない。




わたしの考えは成果主義的側面から作られたものなので、

すべての人が出来るとは想いません。


ダイヤモンドのかけらより瓦礫の山のほうが大事な人々も勿論いらっしゃるでしょう。





今回俺が云いたかったことを、一行に翻訳すると要はこういうことです。



「死」が自分ひとりのものである人生なんか下らない。




人間性というものがあるのだから、生死が肉体的なものだけであるはずがない。

そういうことです。





もっといろんな側面から書きたいのですが長くなりすぎるので今回はこのへんで。


この記事に今どれくらいの人が共感してくれて、

そして数十年後にどれだけに増えてるか。

見ものやね笑


あ、ちなみに矛盾を許容できない人は置いていくんで宜しくお願いします。



それでは、お相手はルサンチメンの馬鹿担当、江左 尚哉でした。

ここまで読んでくれてどうもありがとう。

ほなまた。



<えさ>